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東京高等裁判所 昭和41年(行ケ)143号 判決

原告

株式会社伏見晒工場

代理人弁理士

新実芳太郎

新実健郎

被告

特許庁長官

佐々木学

指定代理人

牧島昌三

外二名

主文

特許庁が昭和四一年七月二七日、同庁昭和四〇年抗告審判第二九号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一、本件の特許庁における手続の経緯、審決理由の要点、本願発明の要旨が原告主張のとおりであること、原告が抗告審判請求書に原告主張の内容の訂正案を記載して特許庁に対し旧特許法第一一三条第二項、第七五条第五項による訂正命令を求めたことは、当事者間に争いがない。

二、(一) 旧特許法は同法第七五条第五項による訂正命令の要件についての規定を欠いているが、出願公告があつたときは出願にかかる発明につき特許権の効力を生じたものとみなされるから(同法第七三条第三項。ただし本件では現行特許法第五二条による権利が発生)特許庁が同条同項により出願公告後の明細書または図面の訂正を命ずることができるのは同法第五三条第一項、第三項、第五四条の定める特許権発生後の訂正の場合に準じ、(1)訂正が特許請求の範囲の減縮、誤記の訂正、不明瞭な記載の釈明のいずれかを目的とし、(2)特許請求の範囲を実質上拡張または変更するものではなく、(3)訂正後の発明が独立して特許を受けることができるものである(ただし、特許請求の範囲の減縮を目的とする場合に限る。)場合であることを要すると解すべきである。そこで、原告主張の訂正案による訂正が右の各要件を備えているかどうかを順次検討する。

(二) ……本願の特許請求の範囲は、

(1)  クレープ生地を平布同様送り方向に平面緊張状態を保持しつつ処理浴に浸漬し、

(2)  三〇ないし六〇度の範囲内の硬度のゴムロールをもつて構成したマングルにより、

(3)  これを絞ることを特徴とする

(4)  クレープ生地の浴浸加工法

をその構成要件とするものであることが認められる。一方、訂正案が前記本願特許請求の範囲のうち(1)の「処理浴」を「苛性ソーダ浴」に、(3)の「絞る」を「六〇ないし七〇%の含水率まで絞る」に、(4)の「浴浸加工法」を「シルケット加工法」に訂正しようとするものであることは当事者間に争いがない。そして……本願明細書の記載全体、特に「発明の詳細なる説明」中「本発明は、以上の従来の方法における不都合を除去し、クレープを毫も損傷することなく平布同様の操作でクレープ生地のシルケット加工、或は樹脂加工すること若くはその他任意の処理浴によつて生地を浸漬処理することを可能ならしめたものである。」との記載によれば、前示の「浴浸加工法」とは、シルケット加工、樹脂加工その他任意の処理液に生地を浸漬処理する加工法の総称であることが認められるので、訂正案は、本願特許請求の範囲のうち、前示(1)の処理浴の種類、(3)の絞る工程の含水率、(4)の浴浸加工法の種類を限定しようとするものであることが明らかである。また、本願明細書中前示引用部分の記載によれば、本願発明の目的は、クレープの畝を損傷することなく平布同様の操作でクレープ生地に十分なシルケット加工、樹脂加工その他の加工効果を得ることを可能ならしめることであることが認められるところ、訂正案は前判示のように特許請求の範囲を訂正するとともに、発明の詳細なる説明のうち、シルケット加工に関する以外を削除しようとするものであるから(このことは当事者間に争いがない。)、発明の目的を前記の事項のうちシルケット加工に関するものに限定しようとするものであるといわねばならない。したがつて、訂正案は特許請求の範囲の減縮を目的としたものであり、かつ実質上特許請求の範囲を拡張または変更するものではないことが明らかである。

被告は、訂正案は液を六〇ないし七〇%の含水率まで絞る要件を加えることによりシルケット加工効果を高めようとするものであつて、発明の構成と目的を変更するものである旨主張するが、訂正案は、右に判示したとおり、含水率に限定のない本願発明の(3)の構成要件に、六〇ないし七〇%の含水率まで絞るという限定を附加しようとするものに過ぎないし、これによつて十分なシルケット加工効果を得ようとするものであることは……明らかであるが、十分なシルケット加工効果を得ることが本願発明の目的に包含されていることは前判示のとおりであるから、被告の右主張は採用の限りではない。

(三) ……訂正発明は、

(1)  クレープ生地を平布同様送り方向に平面緊張状態を保持しつつ苛性ソーダ浴に浸漬し、

(2)  三〇ないし六〇度の範囲内の硬度のゴムロールをもつて構成したマングルを使用し、

(3)  これを六〇ないし七〇%の含水率まで絞ることを特徴とする、

(4)  クレープ生地のシルケット加工法

を構成要件とするものであることが認められる。ところで、発明はその課題の技術的解決手段であるから、訂正発明の課題およびそれとの関係で右各構成要件の有する意味について更に検討する。〈書証〉および証人Oの証言によれば、本願出願当時におけるクレープ生地のシルケット加工に関する技術水準は次のとおりであつたことが認められる。すなわち、クレープ生地を通常の平布と同様の機械を用いてシルケット加工すると、原告主張の原因によりクレープの畝が消失し、縮みものとしての特有の風合が失われるので、機械的操作による加工は不可能であり、二、三の中小企業が原告主張のような手工業的方法によつてクレープ生地のシルケット加工を行なつていたに過ぎなかつたが、右の方法では、クレープの畝は損傷されないが、原告主張の原因によりシルケット加工効果が不十分かつ不均等である等の欠点があつた。右認定の技術水準と前記〈書証〉を併せ考えれば、訂正発明の課題は、平布同様の全機械的操作により、クレープの畝を損傷することなくクレープ生地の十分なシルケット加工効果を得ることを可能ならしめることであると認めるのが相当である。そして、前記各甲号証によれば、右認定の訂正発明の課題のうち、クレープの畝を損傷しないという課題を達成するための要件は前示(2)の要件であり、十分なシルケット加工効果を得るという課題を達成するための要件は前示(1)および(3)の要件であり、かつ平布同様の全機械的操作を可能ならしめるという課題を達成するためには右(1)、(2)、(3)の各要件を組み合わせることが必要であることが認められる。

ところで、右(1)の構成要件は本願出願当時周知の平布のシルケット加工法の工程を転用したものであることが明らかであるから、(1)の要件自体および(1)と(2)、(3)の要件とを組み合わせることは周知技術から容易に推考できたものと認めるべきである。したがつて、前記課題の技術的解決手段としての訂正発明が出願当時の技術水準との関係で新規性、進歩性を有するのは、右(2)および(3)の要件を備えかつ両者を組み合わせた点にあるといわねばならない。そうだとすると、訂正発明が独立して特許を受けることができないというためには、右(2)および(3)の要件のみならずその組合せが出願当時公知の状態にあつたことが証明されなければならない。

そこで第一引用例および第二引用例に右の点を示唆する記載があるかどうかについて検討するに、右各引用例の記載内容がそれぞれ原告主張のとおりであることは当事者間に争いがないところ、右争いのない事実によれば、第一引用例には訂正発明の前示(2)、(3)の要件およびその組合せを示唆するに足りる記載は何もなく、第二引用例の記載は羊毛塊の絞りローラーの硬度を示すだけであるから、仮にこれが前記(2)の要件を示唆するものとしても、(3)の要件および(2)、(3)の組合せについては何ら示唆するところがない。被告は、訂正発明は第一、第二引用例の記載と被告主張の周知事実から容易に考えられる程度のものである、と主張するが、被告主張の周知事実は前記(2)、(3)の要件およびその組合せとは全く関係のない事実であるから、被告の右主張は採用の限りではない。

したがつて、訂正発明は第一、第二引用例の記載から容易に推考できる程度のものではなく、旧特許法第一条の発明として独立して特許を受けることができるものであるといわねばならない。

三、出願公告後の明細書または図面について前判示の要件を備えた訂正が可能である場合に、特許庁は旧特許法第七五条第五項(第一一三条第二項により準用される場合を含む。)により訂正を命ずべく法律上羈束されるかどうかについて判断する。同法第七五条第五項は「必要アルトキハ特許発明ノ明細書又ハ図面ノ訂正ヲ命ズルコトヲ得」と規定しているので、如何なる場合に訂正を命ずべきかは総て特許庁の自由裁量に属するかのようにみえる。しかし、訂正が特許権発生後の明細書または図面につき許されるべき訂正と同一の要件を備えている場合でなければ、特許庁は訂正を命ずることができないことは前に判示したたとおりである。そうだとすると、同一の要件を備えた訂正であるのにかかわらず、特許権発生後の訂正については、特許庁は訂正許可の審決をすべく法律上羈束される(同法第三条第一項、第三項、第五四条参照)のに反し、出願公告後の特許を受ける権利については、特許庁が訂正を命じない自由を有すると解する合理的な根拠はない。しかも、旧特許法には出願公告後の補正を認めた規定(現行特許法第六四条参照)がないので、特許異議申立の結果、出願公告された明細書または図面によつて出願が拒絶されることが明らかであるが、前判示の要件を備えた訂正(ただし、特許請求の範囲の減縮を目的とするものに限る。)が可能であり、したがつて訂正後の明細書または図面によれば出願が特許されることが明らかな場合でも、特許庁が訂正を命じない限り、出願人は出願の拒絶を免れる法律上の手段を有しない。したがつて、少なくとも出願人が前判示の要件を具えた具体的な訂正案を示して訂正命令の発令を促がした場合は、特許庁は、特許権発生後の訂正の場合に準じて、訂正案と同趣旨の訂正を命ずべく法律上羈束されると解するのが相当である。

本件においては、出願人である原告が具体的な訂正案を示して特許庁に対し訂正命令の発令を促がし、その訂正案が前判示の要件を備えたものであつたことは既に判示したとおりであるから、旧特許法第一一三条第二項、第七五条第五項による訂正を命じないで本願を拒絶すべきものとした本件審決には、原告主張の違法があるといわねばならない。

よつて、原告の請求を認容……する。

(服部高顕 石沢健 瀧川叡一)

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